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私の標準という話

2011年1月。
今年で、ホームページ制作業を始めて10年になりました。
つまり、組子から本格的に離れて10年になります。

この職人カテゴリは数が少ないのですが非常に濃いユーザーが新しいページを待っています。
今まで、職人カテゴリの更新を怠っていたのは新規のネタが無いことからです。

今回は自分で組子を作るときの約束事。
IT関係の用語で言うところの、「標準」に関して説明します。
その当時('90年代初頭)は若い組子職人が横につながることはありませんでした。
各々が独自の、「標準」で仕事を進めていたはずです。
その独自の一つをご紹介します。

今回のページの対象者は現役組子職人のみ。
一般の方はわかりにくい内容ですがご了承ください。

木取り・乾燥・選別

私は木曽檜を用いていました。
当時は駆け出しですので、これ以外は試していません。
木曽檜以外は父の代の残りで僅かに東濃を扱っただけです。
その当時も、神代杉などを用いて色の変化を出すなどという作品はありました。
私は精度・速度に拘っていた時期。
檜以外の材料による口当たりの良さは、「逃げること」と思っていました。(完全に、狂っています)

当時の私は材料屋さんへ細かく指示を出してました。
余りに細かいので、明らかに不快感を持たれたほどです。
今にして思うと、ギラギラしすぎていたと思います。

理由は私が欲している質と材料屋さんの頭の中のイメージが合わない為。
私の考える「上等」と、材料屋さんの、「上等」が一致しなかった故です。

材料屋さん、言ってました。

他の職人さんはこんなに細かく言わない・・・

生意気な若造でした。
材料屋さんと良好な人間関係は気づけなかったと記憶しています。

◆乾燥について。
乾燥は出来上がった組子に両面ガラスが入るという条件なら組子に挽いて(自動カンナに入れる前)から2年以上の乾燥。
使用する直前に選別。(油と曲がりの強いところを除く)
自分の工場で挽く前の乾燥もあるので、最低でも3年間は自分が持っていた材料になります。
この3年経過した材料なら、完成後に油を吹いてこないのは確認が取れています。

赤身は色の濃さ。目の詰み方。
この2種類を根拠に、似通ったタイプの材料をまとめて保管します。
オサランマなどを作るときにはその束の中で、さらに色の濃さごとにグラデーションを付けます。
左が一番明るく、右が一番暗い。
このようなイメージです。
頂いている予算に応じて、この材料の束からさらに選別。

なお、原口工芸ではオサランマを源平材でつくるときにグラデーションを意識することを指導されています。
しかし、赤身を10種類くらいに選別するまではやっていませんでした。
これは乾燥に関する考え方の違いから。
原口工芸は板の段階で十分な乾燥。
私は組子に挽いた段階で乾燥。
なお、組子の状態で保管するのは父の影響です。

なお、源平材を用いる、普及価格のオサランマにも同様な配慮を施します。
組手を引く段階で、赤身の量ごとにグラデーションをかけます。
普通は表側に赤身を多め。
場合によっては白太100%などという事もあります。(源平材からの選別にて)
これだけで、1枚1万円のオサランマは、「キリッ」とします。

意見1:「予算がない。そんな手間をかけられるか・・・」
一枚に付き、5分の時間で十分です。
材料のロスも確実に減らせます。
安い材料でも、見た目が向上することから、予算がないなら必要な配慮。

意見2:「そんなことをしても素人はわからない。そんな手間をかけられるか・・・」
まずはご自身でグラデーションを意識したオサランマを作ってみたください。
それでも必要ないと思うなら・・・
あとはお任せします。

意見3:「当たり前にやっている。そんな事を熱く語るな・・・」
大変失礼しました。

経験の数値化

組子職人の前職はエンジニア。
変わり者が多い組子業界の中でも、私は変わっています。

その当時('90年代初頭)はNCが組子業界に入り始めた頃。
NC導入と同時に、電卓による割り込み作業が必要になりました。

ここで、前職の知識を総動員します。
今では普通になっていると思います。
組子の出来寸法とデザインを入力するだけで、必要な材料と長さを性格に指示するプログラムを自作。
これを始めて作ったのは私と言っても過言では無いでしょう。

このプログラムは、「入る柄の数」「組子の見付」「湿度」
これらを考慮して、菱のたってくることを計算して、補正をかけるなどという制御もされていました。
組子を1枚組むことに、プログラムは修正が入る事から、完成版のプログラムは神がかっていたことと思います。
私の作る菱物はヒシッと通っています。
その当時の全国建具展示会で同等クラスは見たことがあません。
このような特注組子が量産できたのはこのプログラムのお陰です。

その当時の私は特注組子が「安く」「キレイ」に作れれば、未来は明るいと思っていました。
職人の世界は実力主義。
今までの職人がマネが出来ない世界に到達すれば勝ちだと・・・

朝注文を入れれば、夕方に完成品を届ける。
その当時('93年頃)の、私の標準納期は1日でした。

結果としてはこの考えが「商売」を失敗させる原因です。

具体的な、数値で優位性を示そうとするが失敗

私の数少ない作例の特徴。
・精度が高い
・細かい
・デザインがシンプル

この傾向は最初から最後まで変わりませんでした。
独立してから、組み分けは一枚もつくっていません。(注文が入らなかったとも・・・)
得意としていたのは細かめの菱物。
見付の細い、紗綾形崩しは好んで作りました。

その当時('93年頃)はバブルの残り香。
派手な組子が王道だったのでしょう。
現代建築に通じるような、シンプル且つ高級な組子の潜在需要の読み違えは私の致命傷になっています。

玄人受けするが素人受けしない。

先代がいれば、このような事はしなかったことでしょう。(先代は合理の人)
今の私がアドバイスしても、結果は違ったはずです。(今は妥協の人)

本物の組子を残すという観点からはシンプルで高級な路線は正解。
しかし、若い組子職人が食べて行くには手を出すべき作風では無い。

【注意】ここのコメントは'90年代としての内容です。
現在ではシンプル且つ細かな柄物は有用です。
あくまで、その当時では早すぎただけです。

まとめ

今回のページは失敗した組子職人の例として残します。

正しい仕事をするのが正解とは限らない。

ここが強く言いたいポイントです。

どこかでページを作りますが私が職人を諦められたのは'97年に法隆寺を見た時。
職人としての覚悟がその当時の職人に敵わないと悟ったから。

私は
究極の職人になる、覚悟が足りなかった。
一方で、生活出来る職人となる妥協も出来なかった。

結局は中途半端な職人だったという事です。

極めないこと。諦めることが悪いと言いません。
しかし、中途半端に極めようとするのは一番悪いと思います。

生涯記事を起こすことはありませんが周囲には多大な迷惑をかけています。

極めていると勘違いして、周囲の方に多大な迷惑をかけた、張本人がコメントを残します。

現代という時代に生きている以上、法隆寺の職人とは勝負にならない。

これが中途半端な私が行き着いた答えです。
それ以降は妥協の人になっています。

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